南北朝時代は元弘2年(1332年)のこと、後醍醐天皇が隠岐へと流されたとき、16歳であった天皇の皇女・瓊子内親王は父を追って伯耆国に入ります。
しかし、隠岐へと渡る願いは遂にかなえられず、安養尼と名乗ってこのお寺を開かれ、24歳の生涯をこの地で過ごされました。
寺門の瓦などに刻まれた菊の御紋が、皇族墓所としてのたたずまいを偲ばせています。
昭和5年(1930年)、米子市役所として建築された赤レンガ色のモダンな洋館。
当時の鉄筋建築としては3階建てのその規模もタイル張りのその質も山陰随一で、市の有形文化財に指定されています。
現在では、化石や民俗資料などを展示する歴史館として生かされ、良き時代の美しい風貌とともに文化の香りを放っています。
明和年間(1764年から72年)に建立された曹洞宗のお寺で、中国風の鐘楼門が異彩を放っています。
山内には、米子市出身の詩人・生田春月の墓碑や、二・二六事件の首謀者・西田税のお墓があり、線香が絶えることがありません。
川岸に建ち並ぶ白壁の土蔵と数多く架けられた橋が、江戸時代に商港として栄えた往時の面影を偲ばせて情緒豊か。
橋を渡って寺町界隈に足を延ばせば、どこか懐かしい風情ある町並みに出合えます。
この町並みを水面からご覧いただける遊覧船もあります。